ハンドルネーム:まめちら
目の病気のこと(1)発症の頃
中学生だったある日、突然の飛蚊症と視野の一部の欠けを自覚し、翌日に近所の眼科へ。
そこで「紹介状を書くので、すぐに大学病院に行ってください」と言われ、翌日に大学病院へ。
診る医師診る医師皆が深刻な顔で首を捻り、3日連続で通院する間にも視力低下。
病名の見当もつかないまま、すぐに入院となる。
3ヶ月に及ぶ入院で様々な治療を試みるが、視力低下は進み、矯正視力がたしか0.5まで下がる。
自覚では分からなかったが、炎症の勢いがやや落ち着いたとのことで退院。
退院後も通院治療が長らく続き、数年掛けて落ち着き、その後驚くほどの視力の回復を遂げる。
当時の症状や病名
「見たことのない眼底だ」と、当時も30代での再発後も大勢の医師に言われたものでした。
入院中も病名を告げられるというような場面はなく、医師に聞いたところ、
視神経乳頭炎、脈絡膜炎、網膜血管炎、ぶどう膜炎などの病名を言われました。
とにかくあらゆる部分が強い炎症を起こしていたようです。
自覚症状としては、
・膨大な数の細かい飛蚊症(たぶん炎症細胞)
・視野中心のすぐ横、耳側部分の視野欠損(たぶん視神経乳頭炎によるもの)
・入院治療中も進む、視力低下と視野欠損部の拡大
・黒いはずの印刷物の文字が、薄く茶色っぽく見える
・白地に黄色など、コントラストの弱いものが見えなくなる
・暗いところで特に目立つ、チカチカユラユラしている光視症
・数十回に及ぶ、眼底出血(血流が悪く新生血管がたくさん出来ていたため)
などです。
目の病気のこと(2)再発後
医師も驚くほどの視力の回復(矯正1.2〜1.5)を遂げ、後遺症はあったもののごく普通に生活していた日々。
ある時、飛蚊症の増加と片目の視野欠損部の拡大、昼間でも暗く見えたりコントラストの弱いものが見えなくなったりと、明らかな変化を自覚。
近所の眼科に行くも問題なしと言われ、だがどう考えても確実におかしいのでしつこく通院し、視神経炎との診断を受け、大学病院に行くように言われる。
大学病院でも視神経炎(片目のみ)との診断を受け、通院治療の開始。
薬の増減で良くなったり悪くなったりを繰り返しながら、徐々に視力が低下していく。
さらにもう片方の目も、炎症を再発。
時に眼底出血などをしながらも、ものすごく緩慢に、大きな変化がないまま小さな変化の積み上げのような感じで見えない部分が増えていき、視力も低下。
ついに視覚障害者等級に該当する見え方に。
その後もゆっくりと悪化を続け、それでもそれなりに落ち着いていた時に、頼りにしていた方の目が重度の網膜剥離に。
炎症を繰り返してきて散々傷んでいる網膜で、剥離のきっかけとなった穴が見つからずに塞ぐことができず、たくさんのレーザーを打ち、シリコンオイルを入れて手術完了。
術後は文字が読めないレベルになったが、視力検査ではまだ0.02~0.03くらいあった。
が数年をかけて見えない部分が増えていき、現在は光の有無がなんとなく分かる程度まで悪化。
もう片方の目は矯正視力0.02くらいで、こちらにすべてを頼って生きている日々。
このサイトを作った理由
医療によって病気の進行を防いだり、失ったものを取り戻せれば素晴らしいですが、現実はなかなか難しい。
そんな中で希望になり支えになるのは、失った分を他の何かで補える、ということだと私は感じました。
見えない・見えにくいことは本当に不便で、悲しく、日々危険と隣り合わせでもありますが、幸い現代はIT関係が凄まじい速度で進歩しています。
身近なスマホは、そのカメラが目の代わりとなり、映したものが何なのかを音声などで知らせてくれます。
複数の企業・メーカーが、テクノロジーで見えなさを補う最先端の機器の開発をしてくれています。
さらに高齢化社会により、老眼や高齢者向けの商品も増えてきて、これらも便利に使えます。
もし普通に見えていた人が、ある日突然見えなくなってしまったら、他者の手を借りないと何も出来なくなり非常な苦労をすることになると思います。
が、幸というか何というか、私は本当にありえないくらい緩慢に見えにくさが進みました。(まさかここまで見えなくなるとは思っていなかったけれど)
つまりはその間に、色々考えたり探したり調べたりする時間がたくさんあったのでした。
それらを集めて公開して、たとえ一人でも誰かの役に立てたとしたら嬉しいなと思います。