私の目の病気について、発症当時のことを詳しく書いています。
長文です。
発症は中学生の時
ある晩、家で勉強をしていた時のこと。
何気なく片目だけで教科書を見てみたら、文字があるはずなのに白くすっぽり抜けて見えない部分がありました。
「えっ?」と思って反対の目で見てみたら、さっきとは左右対称の位置で、やはり見えない部分が。
「最初からこうだったっけ?」と思いながら部屋の白い壁を眺めて見たら、無数の細かい点々があることに気づきました。
数年前に親がやはり飛蚊症で眼科受診して「ぶどう膜炎」との診断を受けていたため、慌てて眼科に行くことになりました。
余談(1)
この視野の欠けは視神経乳頭炎によるもの、飛蚊症はぶどう膜炎によるものでした。
ちなみに親のぶどう膜炎はごく軽く、点眼薬のみでその後病院にも行かなくなり、視力障害も起きずに終わりました。
大学病院へ
まずは近所の眼科に行きましたが、病名など言われず、深刻な面持ちで「すぐに大学病院を受診してください」と言われました。
翌日、紹介状を持って大学病院に行くと、複数の医師の診察を受けました。
3日連続で通いましたが、その間にも視力がどんどん低下。
すぐに入院することになり、病名も入院期間の予定も「分かりません」としか言われぬまま、入院になりました。
検査の日々
全身検査
記憶が朧げですが、覚えているだけでも
脳、髄液検査、皮膚科で全身チェック、耳鼻科、心臓、耳たぶを切って出血時間を測る検査、採血毎日
などを受けました。
でも結局、目以外は異常なし。
余談(2)
子供の頃、親から
「背骨に針を刺す検査があって、それはもう激痛で、大の男でも大勢に押さえつけて暴れるほど痛いらしいよ」
という話を怪談的に聞いていたので、髄液検査をすると言われた時は、本気で脱走を企んだものでした。
決行時、背中を出して背を丸めて横たわり、複数の医師たちに体を押さえつけられた時は、恐怖の絶頂に達しました。
ところが、ほとんど痛くなかったのです。
せいぜい「チクッ」としたくらい。
後に質問してみたら、「子供のうちは柔らかいから、針も入りやすいのよ」とのことでした。
眼科での検査と診察
眼科では通常の視力検査や視野検査のほか、点滴をしながらのFAG、たぶん目に電極を取り付けて検査する網膜電図なども受けました。
色覚検査表(石原表)というのと、色相配列検査というのを受けたのは、よく覚えています。この辺は楽しかった。
診察は主治医や回診だけでなく、病棟内の複数の医師、外来の医師たちからも受けました。
若かったことと、病状の重さ、不可解さとからだと思いますが、医師たちはこの目を救おうと、できる限りの尽力をしてくれたのだと思います。
しかしどの医師も「何だろうねぇ」と首を傾げるのでした。
治療
眼注
晴天の霹靂の病気と入院だけでも狼狽えていたのに、なんと最初は眼注射から始まりました。
これがもう激痛で。
注射針を眼球に刺された痛みは鋭くきつく、注射後もしばらく激痛が続きました。
あまりに痛くて悲しくて、ベッドでひっそり泣いたものでした。
しかし全く効果はなく、それまでの週3回注射を毎日にするか?という恐怖の話も出たのですが、そうはならずに次の点滴治療に入りました。
ステロイド点滴
現在のステロイドパルスのように「3日間大量に打って、その後はオフ」みたいなものではなく、たしか毎日点滴を受け続けたと記憶しています。
それまでニキビなんてできたことのなかった肌に、それはそれは大量のニキビが出来てきました。
また、ガリガリに近い痩せ体型だったのに、ムーンフェイスで顔がパンパンにまん丸に。
お年頃の乙女にとって、この外見のすさまじい変化は、ものすごいショックでした。
特にニキビは通常では考えられない量で、隙間がほとんどなく、頭から上半身まで埋め尽くされました。
ニキビが出なかったのは瞼と耳だけで、一生のコンプレックスとなる汚い肌をもたらしたのでした。
点滴が終わった後はステロイド内服をしていましたが、効果はなく、次の治療へ。
1日3回の点滴
何系の薬か分かりませんが、毎日3回点滴を受ける、という治療をしました。
1日のうちの1回は、消灯後の夜間だったと記憶しています。
今のように血管にチューブを残しておくような方法はなく、その都度医師が病室にやってきて点滴針を刺しました。
しかしこれも効果がなく、次へ。
2度目のステロイド点滴
この前にも他の治療を受けたのかも知れませんが、覚えていません。
2度目のステロイド点滴は、1度目の物とは薬の種類が違うと聞いた記憶があります。
自覚では変化は分からなかったのですが、炎症の勢いが治まってきたとのことで、退院することになりました。
3ヶ月の入院生活でした。
病名と当時の症状
先にも書きましたが、何の病気なのかと尋ねても答えをもらえず、しばらく病名がつきませんでした。
当時の状態は、
- 網膜の血管が動脈硬化にように変性していて血流が悪く、そのせいで新生血管(悪者)が出来てしまっている
- 視神経乳頭の腫れ
- 脈絡膜炎
など。
後にぶどう膜炎と言われましたが、まあとにかく目の色んな組織に炎症が起きていたのでした。
入院当時の見え方は、
- 矯正視力0.5/0.8
- 多数の飛蚊症
- 薄い濁った膜越しのような見え方
- 常にチラチラ揺れている光視症
- 視野中心そばから耳側にかけての、視野の欠損
などでした。
退院後も治療継続
退院後も年単位でステロイドは飲み続けていました。
また、退院後しばらくしてから、新生血管からの出血による眼底出血を繰り返すようになりました。
視界の中に「ごはんですよ(海苔の佃煮)」が浮遊しているような見え方になりました。
所見でも悪化があったようで、一時は血漿交換の話も出ましたが、せずに済みました。
驚異の回復と、当時の後遺症
通院と治療を続けながら、年月を経て落ち着きました。
入院から何年も後ですが、医師も驚くほどの視力の回復(1.2/1.5)を遂げました。
診察のたびに医師に「しかし本当に良くなったねぇ」と感心の言葉を言われたものでした。
後遺症
飛蚊症は残りました。
視野の欠損もそのままで、ただ両眼で見るとそれぞれを補うため、日常生活に差し支えありませんでした。
薄暗いと見えにくかったり見えなかったり、白地に黄色で書かれた文字だと見えなかったりなどはありましたが、本当に奇跡の回復だったと思います。
おわり
今振り返ると、当時なぜあれほどまでに医師たちは懸命に治そうとしてくれたのか。
ひとつは、まだ十代で若い患者が失明しないよう必死で助ようとしたためかと思いますが、もうひとつは「ひどい炎症の跡が後に及ぼす危険性」を考えてのこともあったのかなと、勝手に推測しています。
そう、再発後に起こった色んなことは、過去の強い炎症の後遺症によって引き起こされたことが多々あったのです。
それについては他のページで。
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