大部屋入院中に出会った、かっこいいおばあちゃま

私の目の病気は緩慢に悪化していきました。
今まで見えていたものが見えなくなり、出来ていたことが出来なくなり、不安や絶望でどうにかなってしまいそうな時、思い出す人がいます。
眼科入院中に出会った、高齢のご婦人です。

その方は突然の病気で急激に視力低下し、遠い地方からはるばるこちらの大学病院に治療のためにやってきた方。
眼科の手術って、術後に姿勢(うつ伏せなど)の維持を必要とするケースがあるのですが、最初の2、3日ならまだしも、長期化してくると到底耐えられるものではありません。
理性で頑張っていても体が反発し続けて、ふと気が緩んだ瞬間に体が動いちゃうんですよね。

そこでそのご婦人は、自分で自分の腕をベッドに縛りつけたり、ベッドの角度や毛布やらあらゆる工夫を重ねて、長期間の姿勢維持を頑張っておられました。

その後、動けるようになったら、見えなくなった目での日常が押し寄せてくるわけなのですが、
・ナースステーションやトイレ等までの歩数を記憶し、歩数を数えて自力で移動
・毎朝聞かれるトイレ回数を数えておくため、触って分かる小物を使って回数を記録しておく
・硬貨など細かいものを、それぞれ別のポーチに入れるなどして判別

などなど、遠い昔のことなので記憶違いがあるかも知れませんが、入院生活という制約だらけの環境の下でありながら、ありとあらゆる工夫をされておられました。

さらに衝撃を受けたのが、退院後の通院です。
全く知らないこちらの土地で、僅かに残った小さな視野だけで、一人きりで通院したというではないですか!
なんでも、「前の人の腰のあたりが見えるので、そこをじっと見て歩いてきた」とのこと。
信号は、周りの人の気配でわかるとのこと。
もちろん白杖必須なレベルなのですが、急病だったので白杖の取得もまだだったのです。

これだけ書くと、ストイックで自分にも他人にも厳しいような印象を与えてしまうかも知れませんが、そんなことは微塵もなく、明るく愉快でチャーミングなおばあちゃまだったのです。
実子さんよりも年下の私にも常に丁寧語で話してくれたのですが、それでいて時折くだけた流行語を織り交ぜ、またそのセンスとタイミングが絶妙なのでした。
時に、ハッとするようなアドバイスもくれました。
それは決して押し付けや上から目線ではなく、人生経験や聡明さから生まれた、心からの思いやりの言葉だったのでした。

後から私も退院になり、それ以来会うことはなくなってしまったけれど、この方との出会いは今も私にとっての救いとなっています。

このずっと後、マシだった方の目が網膜剥離になってしまい、手術当日の朝に執刀医から「もう元のような生活はできない」「家族の協力や理解が必要」など、絶望しか沸かないことを色々言われました。
そして手術を終えた夜。
過去の手術経験では眼帯越しでも光は分かったものでしたが、その時はほとんどが真っ暗で、光を感じるのは視野の中のほんの一部のみ。

悲しさや喪失感や不安とで押しつぶされそうになりながら、「見えなくなっても立派に美しく生きている人々」を思い起こして、自分を保とうとしました。
その「人々」の中でセンターにいるのが、このおばあちゃまです。

もうダメだ、無理だ、いやだ、出来ない、逃げたい。
そんな時、いつもこのおばあちゃまの工夫と頑張りとお人柄とを思い出して、自分を励ましています。
私が今まで乗り越えてこられたのは、このご婦人の存在があったからと言っても過言ではないくらい。
ご本人はそんなことは想像だにしていないでしょうけど…

ちなみに、「歩数を数えてトイレまで移動」等のことは、当時だから出来たこと。
まだ病棟に柔軟な対応があった時代のお話です。