10代で目の病気を発症した時から視神経乳頭炎があり、視野中心すぐ隣部分(耳側)の視野欠損はありました。
が、ここでは十数年後の再発時の視神経炎の体験談を書きます。
眼科専門医が揃って首をひねるワケのわからない眼底の持ち主なので、普通の視神経炎とは異なる部分も多いと思いますが、ご了承を。
最初の症状
始まりはたぶん後部硝子体剥離
10代の発症では眼底の炎症が強く、途中からは眼底出血も繰り返し、目の中に増殖膜や瘢痕を残しました。
十数年後の視神経炎からの再燃は、発症当時同様に多くの医師が「何だろうね」と首を傾げるものでしたが、「これだ!」と思う仮説が以下。
後部硝子体剥離(これ自体は問題ない)により硝子体が引っ張られ、だが瘢痕で癒着が強すぎて正常な剥離が出来ず、牽引され続けた刺激でモロモロが起きた。
これが正解じゃないかなと思っています。
悪い増殖膜が、黄斑部にも視神経上にも癒着していたのです。
なにしろ、私の視神経炎の最初の症状は、新たな飛蚊症の急な発生(=おそらく後部硝子体剥離の症状)だったのでした。
なので普通の視神経炎とは、出だしや背景がちょっと異なります。
続いて出た症状
気になる飛蚊症出現から数週間後くらいだったでしょうか。
後遺症であった視野の欠け部分の面積が、明らかに拡大してきました。
後遺症の時点では左右の目で同じくらいの面積だったのに、片目だけ視野の欠けがグンと大きくなりました。
続いて、赤い背景に黒い文字や、水色の背景に白い文字など、コントラストの弱いものが見えなくなりました。
また、視界が暗くなってきました。同時に、茶色っぽく薄汚れた感じに見えました。
夏の晴れた青空が、夕方の空のように見えました。
他に、もう片方の目に比べて物が小さく見え、視野の端の歪みが強くなりました。
再発なのだろうかとゾッとしながら眼科に行ったものの、意外にも答えは「異常ありません」とのこと。
「ああ良かった」と思いつつも、やっぱり変なのでモヤモヤしていました。
さらに見え方が悪化したので、再び眼科に赴くと、今度は視神経炎だと分かりました。
治療のスタートです。
余談
視神経は眼球の後ろにあり、眼底の診察では見えないので、眼科に行っても「異常ないです」と言われるケースもあるようで。
後に知り合った患者さんは、眼科で異常なしと言われ、後に耳鼻科で視神経炎を指摘されて、ようやく眼科治療に辿り着いたそうです。
もうちょっと患者の「おかしい」という主張に向き合って欲しい気が…
治療スタート
入院してのステロイドパルス療法がベストだそうですが、仕事を休めなかったので通院内服治療を選びました。
ステロイドを飲み始めて2〜3日で、暗かった視界に明るさが戻り、コントラストが弱くて見えなくなっていた文字も見えるようになりました。
感激しました。
早速ステロイドを減らすと、しかしまた元の症状に。
また増やすと、また改善。
そんなことを繰り返しているうちに、いつしか薬を増やしても改善しなくなってきました。
その後
見えにくさは強く感じたものの、まだまだ視力はあり、普通に生活していました。
ただ当時は視神経炎側の目の見え方がとても変で、例えるならば物が違う材質に見えるような感じでした。
生花を見ても、生花じゃないような材質に見え。
服や靴などを買いに行っても、素材感がなんだか変に見えて。
その後、反対側の目もぶどう膜炎の炎症が出始め、両目とも緩慢に視力低下していったのですが、この当初の視神経炎特有の見え方だけは治りました。
一番大事で一番深刻な視野の欠けは、治ることなく悪化の一途だったのですが、
視界が暗い/茶色っぽく見える/コントラストが弱いと全く見えない/材質が変に見える
などは治りました。
当初は通院のたびに受けていたフリッカー検査も、いつの間にかしなくなっていました。
視力低下が進んで、正しく検査できなくなったせいもあるかもですが。
気になること
それ以来、いわゆる視神経炎の症状は治ったままです。(ただし視神経は変性し、晴れたまま)
再発してから、時間の経過と共に、ポツポツと見えない点が増えてきました。
いつしかその点達は繋がって固まって、大きな視野欠損となったのですが、この原因は不明です。
他の人の話や体験談を聞くうちに、私のこの小さな視野欠損は、視神経の障害によるものではないかと思うようになったのですが…わからないままです。
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